月別アーカイブ: 2015年7月

鴨方から島根県益田の人と恋愛〜遠距離

今から遠距離恋愛の思い出を書きます。

当時私は仕事が平日休みの上に田舎に住んでいて出会いが全くありませんでした。

平日休みにはネット婚活サイトをやったりましていました。

2008年にmixiで出会った当時25歳の島根県益田の人と結婚に繋がる希望を含めた恋愛をしました。

私は岡山県浅口に住んでいて益田まで片道だけで五時間もかかります。もちろん全て下道でしたが!

相手は、少しぽちゃな素朴な顔とグラマラスな身体と身長は平均よりやや低めな女性でした。

その年の7月に初デートし、ロングタイムデートで私が帰り際に身体の関係に強引に持っていったからその後も続く恋愛になりました。

その方と会うために家を朝の5時過ぎには出てお昼までに島根県益田のマクドナルドあたりで待ち合わせをしていたものです。

デート時間は昼前から夕方くらいまでしか、私が帰らないといけないのもあるので物理的に無理でした。

毎回のデート間際の楽しみは、ラブホでイチャイチャすることです。

でも、それ意外にも彼女と松江堀川遊覧船や、水族館や砂の美術館など、たくさんのスポットに行きました。

よく考えたら朝早くから深夜まで遠距離だけにデートのため彼女を車に乗せてると一日中運転していることになります。

一回一回のドライブデートを6回、年末までに繰り返し、6回目までに妊娠させたとの疑いがあったので、一緒に暮らそうと彼女や親御さんに言われました。

しかし、ここに来て私の心がイマイチ乗り切らないのでした。

あんなに好きだったし、遠距離の往復してたのに、なぜ年末になり一緒に暮らすのがこんなテンション上がらないのだろうと思ってました。

なので、テンション上がらないから何日か様子見で彼女の家に泊まることにしました。

親御さんがすごく怖い人で、彼女も彼女の兄弟達も皆、病気持ちだったり問題がある人ばかりで、テンション上がらないのが、余計にテンション下がり食欲もなくしました。

ここまで来て一緒に暮らすチャンスなのになぜか踏ん切りがつきません。

なので3日目に親御さんに、いったん家に帰って体調とか気持ちを改めて来ますと言って家に荷物まとめて戻りました。

しかし、その後はもう別れると彼女に告げて正式にお別れしました。

遠距離でも激しく燃えるパワーとタフさがあった私ですが、彼女の家の事情とか居心地の悪さを肌で感じ、恋愛を続けられませんでした。

しかし逆に言うと肌で彼女の家を体感したないといざ結婚してからが大変だったと思います。

もちろん彼女の家に行った時に親御さんに妊娠してなかったよと言われて実はほっとしたのもあります。

一見燃えるような恋愛になりそうなのに、何かしら恋愛には魔物が潜んでいるのかなと思います。

成就しない恋愛でしたがロングタイムデートやロングドライブやイチャイチャするとか本当に貴重な体験させていただき感謝です。

今でもずっと、1番だいすきな彼

彼との出会いは、大学3年の春。

1学年下で入学してきた彼は、背が高く細身、いわゆるジャニーズ系の顔立ちで周囲は口を揃えてイケメンと言って持て囃した。

同じクラブに後輩として入って来た彼を、私はどことなく嫌っていた。

皆にイケメンと言われ、どう見ても確実に女慣れしてそうなのに、
たどたどしく私に接してくるのがわざとらしくて不信だったからだ。

「このイケメンは猫かぶってる。絶対。」と思って、私は彼を必要以上に避けていた。

それは私自身の中にある、彼に対する興味を抑えるためでもあった。

彼のことを知ってしまったら、本当はすごく純粋な子なんだと気付いてしまったら、
絶対に私は好きになってしまう。そして、あのイケメンに選ばれることはなく仮に選ばれたとしてもきっとすぐに捨てられる。と

直感的に感じていたから、彼自身も彼の話題も避けていた。

ある時、彼が私に相談があるようだとクラブの仲間づたいに聞いた。

来た。これは、確実に遊ばれて良しのパターンだと思った。

でも、本当の姿を、もしかしたら私にしか見せないかもしれない彼の姿を
見られるかもしれないと思うと、その誘いに乗るしかなかった。

彼と行ったのは、歓楽街の一角にある学生たちで賑わう居酒屋だった。

「こういうとこ、あんま慣れてないんで。」と彼は笑って言い、私は(嘘ばっかり)と思いながらふぅんと返す。

彼の相談ごととは「僕、すごく遊んでるように見られてて。本当はそんなことないのに。」といったことだった。

「でも、○○さん(私の名)は分かってくれますよね?だって、似てる気がする。」と勝手に似たものにされたが
私も実際同じようなもので、奇しくも本当に遊んでいた時期があったから何も言わなかった。

分かってほしい、知って欲しい本当の自分を。と何度も言う彼を見ながら、
私の予感は幸か不幸か的中した。この子のこと、ずっと好きだったんだ、と。
彼の相談に応える形とは全く違っていたが、私は「あんたの事好きだから分かるよ。」と言った。

彼は驚く様子もなく「だと思ってた。僕もずっと好きだったから。」と整った顔をほどくように笑って答えた。

そんな返しが来ると思っていなかったからか、抑えてきた感情をよりによって本人に伝えてしまった解放感からか、
私は涙が止まらず、途中で笑い出したりまた泣いたりを繰り返して、店を出た。

帰り道、「僕ん家、実家だけど来ます?」とまたビックリさせられたが、私は彼と手を繋いで実家のマンションへ向かった。

大学生という若く健康で多感な男女にとっては、当たり前のように一緒に寝ることになった。

「母親起きてくると面倒だから、しぃ~っすよ?」と人差し指を口に当てて言う彼はとても可愛らしく、もう大好きとしか言えなかった。

事が始まると、彼は妙に落ち着かなくなり、何かを言いたそうにしたので「どうしたの?」と聞くと、
「いや、初めてなんで・・・」とボソリ。もう今日は何回ビックリすればいいんだと思うほど驚いた。

「そしたら、私じゃないほうがいいんじゃない?男の子にとっても大事なものだと思うからよく考えてみたら?」と
身体を起こして言う私に、彼は「そういうとこがマジで好き」と言って抱きつき、事が再開し、そして終えた。
その日が、その後何度もお祝いする二人の記念日となった。

私にとって彼は、テレビの中にいるみたいな、ずっと憧れていたけど遠い存在だったから
好きって思うことも伝えることも、通じ合うことも、まして交わり合うことなんてないと思っていた。

そんな彼と一緒にいられることが、大学生だった自分にとって何にも代え難い幸せな時間だった。

本当に大好きだった。今でも1番好きだったと思う。

社会人と学生になり、すれ違いと遠距離によって彼とはお別れしてしまったけれど
それでも、今でも、1番だいすきな彼。

ずっとずっと、私の1番だいすきな彼。

また、いつか会いたいな。

誰も責められない…絶対に忘れない結婚式

旦那も私も出身は田舎者同士。しかも、かなり離れている…。

しかし、東京で出会って、そのときの職場も互いに東京だったことから、2月に都内で式を挙げることが決定。旦那はとにかく休みがなくて、平日に結婚式の準備で動き回れるような人ではなかったので旦那の衣装や、旦那の招待客のリスト以外の準備は全て私がやった。

私の親族に関しては、祖父は父方も母方も他界していたけど、祖母はどちらも健在だったし、遠出もまだ出来る体力があったので、もちろん招待状を出した。色々大変なこともあったけど、ほぼほぼ心配ない形で当日を迎えたら…。

なんと!結婚式当日に100年に一度の大寒波襲来…。

テレビをつけて流れてくるのは、飛行機飛ばない、新幹線動かない、都内の交通網は全て麻痺という情報。

朝起きて窓を開けたら、東京にも関わらず数十センチの雪が積もり駅にまでたどりつかない。普段なら徒歩3で大通りに出るのに、雪に足をとられ前に進まない。仕方なく駅に行くことを諦め、なんとかたどり着いた大通りでタクシーを拾って披露宴会場へ。携帯には「会場までたどりつけそうにないので欠席でお願いします!」という連絡が友人から立て続き…。

どうしてもウェディングドレス姿を見せたかった祖母も叔父も大雪で家から出ることが出来ず、さらには1日、遅れて到着予定だった弟も欠席が確定した。

誰も責められないし…誰も悪くない…でも、これだけ時間をかけて、お金をかけて、人生で一番、自分が主役にならなきゃいけない日に、この大参事!

もう呪われているとしか思えない。

披露宴会場に着いてキレイにメイクしてもらい、ドレスを着て着飾っているのに、欠席の連絡が立て続いたことでテンションがガタ落ち。すぐさま家に帰りたくなり「もう結婚式やりたくない!」という気持ちにさいなまれ、全く笑えない状態に。そんな私を見て、旦那は本当に色々な言葉をかけてくれて尽くしてくれたけど効果は現れず…。

ただ、式が始まってしまえば本当に新郎・新婦は休む暇がないから、あっという間に結婚式は終了。終始、落ち込んでいる姿を見せないようにしているほうが必死という思いしか残ってない。

なんとか出席をしてくれた人からは「いい結婚式だったよ。」「この日はみんな本当に絶対、忘れないよ。」と慰め言葉をもらいうけたけど…正直、全然納得がいかなかった。

控室に戻った時点で「なんで幸せの瞬間を見てほしい人に見てもらえないんだ!」という悔しい気持ちでいっぱいになって大号泣。それを見た旦那が「もう、1回やろう。この日があんまりいい思い出にならないのは嫌だな。」と言ってくれたけど、数日間は本当に立ち直れず…。

結婚式が終わった次の日に旦那の車を出してもらって披露宴会場から欠席者分の大量の引き出物と、贈り物の花を二人で車に積み込み。それが終わったら引き出物が悪くならないうちに発送準備。で、発送伝票を書いている最中に、また悲しくなってしまい号泣。

それで私の何かが完全にプツンッと切れてしまい。旦那の言葉に甘えて夏に私の故郷で「報告会」と称してリベンジを決意。すぐさまネットで二次会用の会場を借り。

参加者は会費制に設定。ドレスコードも得に決めず、結婚式に色々な理由で呼べなかった友人も誘った。

ドレスは母親の友人が手作りのウェディングドレスとブーケなどを一式、持っていたのでそれを借り、旦那にはスーツ系のパンツに結婚式で使ったタキシード用のシャツにベストを合わせてもらった。

私が単身で故郷に帰ったときに全部、段取りを組んで、受付や司会のお願いをする友人には全てお願いして、大寒波から数か月後の夏に無事にリベンジ達成。

本当に「悔しさ」の原動力って凄まじいものがあるな…と自分でも驚くぐらいの行動だったと思う。

今と昔のお見合い恋愛事情より。

結婚には、恋愛とお見合いがあります。昔と今の結婚や恋愛の考え方も少しづつ変わってきているかと思います。

お見合いは今も昔も同じ行い方は多々あるかと思います。両親や知人の紹介によりお見合いは進められます。

仕事がとても忙しく時間に余裕の無い方にはお見合いの形になる事が大です。話に寄るとお見合いの離婚率は少ないとされています。

そこには、社会経験のある両親や知人による体験や背景にあるドラマにより的確によいカップルを選び出していると思います。

お見合いで男女で特にこだわるのは家柄もそうですが、女性なら、器量や性格など多々ありますが、男性の場合は人柄もそうですが年収は特にお見合いを進めた人はこだわるは多々あります。

私の経験から、仕事の終わった後、仕事場に親戚の伯母が訪れお見合いの話をして、
私に見合い相手の女性の写真を見せて、時間の空いた日を教えて欲しいの事。お見合い日と会う場所を設定したいと言うの事です。

仕事が忙しい中、やっと空いた日と時間を見つけ親戚の伯母に連絡しました。

親戚の伯母は早速、近くにあるホテルのロビーで会う事を相手の女性の宅に連絡を入れました。

お見合いは午前中に行いました。ホテルの広いロビーにて。此方は私と伯母で、相手は見合い相手の女性と年配の女性でした。

お見合い相手の女性は、清楚な感じの服を着ていました。私は就職に使用していた背広でした。

そのお見合いにての話は自己紹介から始まり、仕事や仕事の役柄そして、今の心境や趣味など。

色々な話をして、
後は、二人にしてもらい少しプライベートの話をして、その後昼近くとなり、場所を替えホテルのレストランで食事をしてお開きとなりました。

お見合いの可か不可かは早い目に連絡を入れるのが普通で、三日後に返答しました。

結果として性格的な事や色々あり、今回は私にはその女性はもったいないということで、相手に丁重に伝え、お見合いは駄目となりました。

恋愛の事についてお伝えしたいと思います。

昔と今とは恋愛や結婚の事情は、ずいぶん変わって来ていると思います。

昔と今では、男性と女性の距離間は短い感じがします。昔はsnsも無く男女の集う場所も少ない感じです。

今は情報社会です。昔では、女性の友達が五、六人いれば多い方とされていましたが、
今はsnsで、男性の友達は女性の友達を五十人持っていると話していました。

毎日snsを使い女性の誰かとコメントやメッセージをやりとりしているそうです。
それが返って簡単に女性とやりとり出来るので、恋愛や結婚観が薄くなって来ているのではと思います。

昔、snsも無い昭和の千九百九十年ころ、まだ、メールも無く女性とは手紙で応対していました。

男女の出会いの場としては、一つは趣味の月刊雑誌などで、雑誌は今と違って住所などはオープンで、

同じ趣味の合う同士が趣味の雑誌の交際のランを見て、交際を始めるといった感じです。

そのころの趣味の雑誌は多々あり、住所や電話や実名も雑誌にてオープンでした。

今では、考えられない事ですが、言い替えてみれば平和だったかも知れないです。

自分から好きになった人は去って行く

現在は結婚も出来、子供にも恵まれた生活をしています。

しかし、婚活を行っていた時期はもう本当に結婚できるのか不安で不安で仕方ありませんでした。

週3である合コンに、そこで知り合った人とのデートがあり、一緒に飲んだり映画に行ったりと探り探り相手のことをわかっていく。あ、この人じゃないなと思ったときのショックもだんだんと薄れ、ドライになっている自分がいました。
そのなかでも、デートを重ね、自分から好きになった人は何人かいました。しかし、必ず去っていく…というより、逃げられるといったイメージの方が近いかもしれません。

ある程度仲良くなると、連絡がとれなくなることが多かったです。

私も気持ちの切り替えには慣れてきていて、次の恋に前向きにはなれましたが、何回も続くとさすがに縁がなかった、というだけでは片付けられません。

原因は恋愛体質なので、のめり込みすぎなのだと思います。その人のことしか考えられなくなって、連絡を待ち続けてしまいます。特にこれといった趣味もなかったので、もうそのことだけなのもいけなかったのかもしれません。

あまりに押しすぎるせいで、相手の立場を考えられず身を引かれていたと思います。

たまには二番手といったときもありました。原因はわかっていても、すぐに決着をつけたい性格なので、押して押して押しまくってしまいます。そのときには、その人しかいない、チャンスは今しかないと思ってしまうのです。

今思えば、それは本当に好きというよりも執着に近かったのだなと思います。

現に、冷めるのもとても早かったので確信できます。

それから自分から好きになるのは、自分のためにならないのでやめようと思いました。

そうしたら、今の主人と出会ったのです。

きになる存在ではありましたが、絶対付き合いたい‼と思わなかったのも事実です。主人には言えませんが。

お付きあいしてほしいという言葉をもらったので、ぜひと受けました。

少しずつ、付き合ってからゆっくり好きになっていくことができました。

今まで好きになったり、付き合ったことのないタイプなので、次の行動を予測することがむずかしく理解するのにも苦労しました。

結婚した今でも、主人のことをわかっているつもりはありません。たまになにを考えているかわからないけど、その奥には必ず家族をおもっている信頼があります。

結婚は恋とは違うということが、少しわかってきました。

ただすきだけでは乗りこえられない何かが、必ずあると思います。

出会いから12年。やっと彼と結婚できました。

22歳の時でした。会社の後輩が行きつけのバーに連れていってもらいました。

後輩は週に2、3度通っているらしく、従業員とも仲が良くカウンターに座りました。従業員は私と同じ年でちょっと太めで話しやすい店長と、色黒でワイルド系の無口な1歳年下の男の子と、ノリの軽い2歳下の男の子がいました。

店長が明るく話しやすいことから、初対面である私もすぐに打ち解け、店に通い詰める事になりました。

店に行くたびに店長に「かわいいね。付き合おうよ。」と言われていましたが、いつも軽いノリで言うので真剣に受けとめていませんでしたし、私には中学生時代から付き合っている彼氏がいました。

彼氏の事が好きでしたし、結婚もしたいと思っていました。ただ、色黒ワイルド系の無口な男の子のことは内心気になって、店に行くと彼を目で追っていました。

ある日彼氏とデートをしていました。付き合って8年になるので、特別な会話はなくいつものように過ごしていましたが、彼の態度が少し変でした。「どうしたの?」としつこく聞くと、「好きな人がいるから別れたい。」と言われ、頭が真っ白になりました。

その後のことはよく覚えていません。私は誰かに聞いてほしくて1人でバーに行き、泣きながら別れた事を話しました。朝になり、全く記憶がないほど酔ってしまいました。

彼氏と別れてから、バーで働く人たちの集まりに度々誘われるようになり、彼氏と別れて暇を持て余していた私は頻繁に参加しました。

おかげで色黒の無口な彼とも徐々に話すようになり、2人きりで会うようになりました。彼は一見怖そうな外見ですが、笑う時、子供のように笑います。私は会うたびに好きになりました。彼も同じ気持ちでいてくれたのか、告白され付き合う事になりました。

付き合った最初はとても幸せでした。3年ほど経過した頃、彼が怪しい行動をとりました。疑いは的中。彼は女性と浮気していました。

彼はバーで働いているため、女性との出会いはたくさんあります。私は彼の事が好きだったので、今回限りと言う事で彼を許しました。

しかし、彼の浮気癖は治りませんでした。浮気の度に別れようと思いましたが、彼はその度に「もうしない。」と言うので、その度に許しました。

年齢的にも結婚に焦っていた私は、今になって別れる勇気がありませんでした。

29歳の時、彼から「少しマンネリしているから距離を置きたい。女がいるわけではない。」と言われました。彼の言葉を信じていましたが、友達から彼が違う女性と付き合っていると聞き、裏切られた気持ちでいっぱいでした。

絶対許さないと思いつつ、どこかで忘れられない自分がいました。内心彼を待っていたと思います。

それから数年、彼からの連絡は1度もきませんでした。諦めかけていた時、彼から突然の電話がありました。

今までの事を包み隠さずすべてを話し、他の女性と付き合ってみたうえで、私じゃなきゃだめだと言うのです。そんな都合のよい話はないと思いながらも、私は彼のことを受け入れてしまいました。

彼と結婚したのは34歳。とても長い道のりでした。

お花見デートでテンション上がり過ぎての告白

パートナーとなる人に告白されたのは知り合って二か月目、会ったのは五回目くらいの時でした。

お花見をしようと誘われました。パートナーが住む場所の近くに米軍キャンプがあり、そこに沢山桜があると言われたので行ってみました。

当日はとても良い天気で桜も満開でした。少し風が吹くだけで花吹雪が起きました。

正直、もう二十代も後半で、好きでもない相手に何回も二人きりで会おうなんて誘われることはないだろう。いずれ付き合うんだろう。

今日か、次かこの次くらいに正式に交際を申し込まれる、もしくはグダグダとお付き合い状態になるのだろうと予感していました。相手だって、その気が無い女が何度も何度も誘いに乗ることはないだろうと思っていたと思います。

そして、実際、お花見をして、ハンバーガーを齧っているときに、「付き合ってください」と言われました。特に凝った言葉もサプライズもありませんでしたが、十分嬉しかったです。交際するのはかまわなかったけれど、いつまでもグダグダやって逃げ道があるのは嫌だったので。

その日は桜をたっぷり堪能して、彼のお気に入りだとういうカフェでまた暫く話して別れました。

そして、夜にメールで改めて、今日のお礼と感想を言われました。そのメールの文の中に「今日の桜より綺麗だったよ」と書いてありました。マジでこんなこと書く人いるのかと衝撃でした。嬉しいというよりも、恥ずかしいというよりも、とにかく、衝撃的でした。

彼もおそらく、絶好のお花見日和と、交際スタートでテンションが上がり過ぎたのだと思います。

そのあと、半年後にプロポーズされ、さらに半年後に入籍し、さらに半年後に結婚式を行い、さらに半年後に新婚旅行へ行きました。なぜか深い意味はないのに、半年ごとにイベントがありました。

何回かケータイを買い換えましたが、「今日の桜より綺麗だったよ」のメールは残してあります。その場のテンションとノリの産物だということは重々理解していますが、私が一度でも誰かからこんなに賞賛されたのだという事実がとても私の自信になっています。

パートナーはやはり少しこのメールは後で恥ずかしくなったようです。まだ残してあると言うと、仕返しとばかりに私の歯に青海苔のついた写真を出してきます。まぁ、それでも、恥ずかしいだけでなく、このメールを出したことを後悔されないような女でいたいなとメールを読み返すたびに、嬉しさとともに、決意を改めています。

結婚式の準備でデート気分を満喫しました

私はパートナーと入籍し、一緒に暮らし始めてから結婚式の準備を始めました。

なので、結婚式に初々しさは足りなかったかもしれませんが、一緒に住みながら結婚式の準備をするのはなかなか効率や良く、楽しかったです。

まず、いろんな結婚式場の見学にデートを兼ねて行きました。どこ行ってもチヤホヤしてもらえて凄く気分が良かったです。

結婚してしまうと中々改めてデートという機会が無いし、あまりお金をかけたデートもしにくくなるので、結婚式場のデートは本当に楽しかったです。綺麗なホテルや会場のフカフカなソファに座りながら、将来について話すのはとても幸せでした。

いくつかの結婚式場を回って、少し飽きてきた頃、最初に見学した結婚式場で結婚式を挙げることに決めました。横浜の海の見える結婚式場です。日取りは、直前にキャンセルが出たということで、連休の中日で、しかもゴロの良い11月22日、良い夫婦の日になりました。

結婚式の準備はとても大変でしたが、楽しかったです。

結婚式の打ち合わせの度に横浜にデートに行きました。打ち合わせがメインなのか、デートが本番なのか、よくわからなくなりました。

普段、横浜は電車を何度も乗り換えなくてはならないか、車で行くと駐車場代が高いという場所です。しかし、式場で打ち合わせすると、駐車場代が無料になるので、車を結婚式場に置いては打ち合わせの前後にデートしていました。もう一生分の横浜マスターになった気分です。オシャレなカフェにも沢山行きました。

しかし、大変だったのは結婚式の招待状作りでした。結婚式の費用を少しでも抑えたくて、結婚式の招待状は手作りすることにしました。しかし、これが返って高くつきました。

自宅のプリンターが結婚式の招待状用の封筒の厚さと固さに耐えられませんでした。封筒が途中で詰まってしまったり、折れてしまったり、インクが掠れてしまったり、最終的には壊れてしまったりで散々でした。

封筒を買い直さなければならなかったり、プリンターを修理にだしたり、時間ばかりかかって二人でイライラしたりして、少し険悪なムードになりました。それでも、手分けして、宛名を手書きで一晩中書いたのはいい思い出です。

一番楽しかったのはウェディングドレス選びです。もう、一生に一度の機会と、アレコレたくさん試着しました。パートナーは辛抱強く、着替えるたびに褒めてくれました。多分、どれも同じように見えていただろうに、ありがたいことです。

勤め先の病院に通っていた患者さんと恋愛から結婚へ

今では二児の母親である私。

旦那さんとの出会いは、勤め先でした。

看護師をしていた私の病院に、旦那さんは患者として通院していたんです。

スポーツによる怪我で足を悪くすることが多かった彼は、頻繁に病院に来ていました。

不自由な足でいつも大変そうだなと、ちょくちょく声を掛けるようにしていたら、ある日突然食事に誘われました。

私が彼に優しくしたので、どうやら勘違いされてしまった様子。

親切はあくまで仕事の範囲であり、個人的に仲良くしたい等思っても見なかった私は、当然やんわり断りました。

だけど彼の方は諦めてくなくて、何度も誘われました。

あんまりしつこいので、連絡先だけでもと思い伝えたら、その翌週には一緒に食事をすることに。

私が押しに弱い性格だったのが原因だと思っています。
当時友人にも、本当に断れない性格だよねと言われちゃいました。

でも私としては、相手が勤め先の患者さんである以上、冷たくあしらうことが出来なかったんです。

一度食事に行ってしまうと、二度三度目のハードルが低くなり、定期的に会うようになりました。

その頃には、彼の通院は終わっていましたが、既に私にとって親しい男性という感覚でした。

お互いいい歳だったこともあり、割りと早く結婚を申し込まれました。

求婚された時は、さすがに迷いました。

これまで流されるように付き合ってきたけど、本当によかったのかな?と振り返りました。

それに、この話には私の兄がいい顔をしなかったんです。

医療関係と無縁の分野で働く兄は、看護師の私が医者を捕まえてくれることを望んでいたとのこと。

そんな話、周りのお医者さんにも選ぶ権利があるんだからと呆れてしまいましたが、他にも旦那さんの足があまりよくないことを気にしているようでした。

私も彼の足のことはやや気に止めていましたが、これを逃したら婚期はもう来ないんじゃないかという想いが強く、結局求婚を受けることに。

彼の喜んだ顔を見たら、なんだか私まで嬉しくなって、これでよかったんだという気持ちになりました。

あれからもう何年も経って、今は小学生と幼稚園の子供の育児に追われています。

たまにあの時、結婚しなければどうなっていたかななんて考えてしまう時もあります。

だけど、旦那さんや子供たちの笑顔を見ていると、幸せだなと感じます。

人生は色々なことを常に選択していく必要があります。

結婚も、その一つ。

選ぶのは難しいし悩むこともたくさんあるけれど、周囲の人が笑っていてくれることが、私の喜びだと思っています。

少々押しきられたような結婚でしたが、後悔はしていません。

今が幸せです。

国際結婚は驚きと新たな発見の毎日

2年前に中国人男性と国際結婚しました。私が北京のとある企業で働いていて、お世話になっている方からの紹介でした。

当時30歳を目前にして、漠然と結婚したいなあ、という気持ちはありましたが付き合っている彼氏もなく、紹介して下さる、となった時もあまり実感はありませんでした。

後から聞くと主人も日本人女性を紹介してもらえるとのことで、とりあえずその方の面子のために会いに行くという感じで、本気で付き合うなどは考えていないようでした。

それが不思議なもので会ってみるとお互いをもっと知りたいという気持ちから、その後も会うようになり、結婚にまで至りました。

結婚式は中国であげ、参加者は主に主人の親戚や友人、同僚だったのですが、中国で結婚式に参加したことがなかった私にはとても新鮮でした。

まさか中国で初めて参加する結婚式が自分の結婚式だったとは。結婚式の招待状も、私が着るドレスも、新居となる部屋のベッドカバー・シーツも、どれも真っ赤。日本の白無垢に憧れていた私にとってはショッキングでしたが、こちらで白はお葬式の色なのでタブーなんだそうです。

結婚式は中国式のもので、日本から来た家族と私はすっかり雰囲気に飲み込まれてしまったような当日の結婚式でした。後から撮ってもらったビデオを見てみるととても動きがぎこちなかったです。

結婚生活はいろいろ文化の違いはありますが、主人は家にいる時は家事を手伝ってくれるので助かります。特に食事の面では、主人は北京の日本料理レストランで働いているので、中華料理はもちろん、日本料理も得意です。私が妊娠してつわりが出て、肉類などを食べられなかった頃には、朝から茶碗蒸しを作ってくれたこともありました。

ささいなことで口げんかにもなったりしますが、文化の違いが大きいです。日本人同士だったら言わなくても分かるだろう、というような事、暗黙の了解が伝わりません。

またこちらは中国人同士でも、何事でもはっきりと言わないと伝わりません。例えば食べ方一つにしても、中国では例えば魚の骨などの部分を平気で机の上に置いたり、外で食事をする時には地面にぽいっと捨てたりします。

日本ではちゃんとがら入れのお椀などを用意してそこに入れます。習慣が違いますが、それでもこちらの文化である面もあるので、違うと感じたら言いますがあまり変えないように、なるべく私が慣れるよう努力しています。もちろんがら入れなどのような、どうしても礼儀として我慢できないことはこうして欲しいと言います。

今は息子も生まれ、教育の面などこれからまたいろいろ悩むことが出てくると思いますが、家族みんなでしっかり話し合いながら一つ一つ乗り越えていきたいです。